優しくなれない
書店にて、東日本大震災発生時に記者が描いた、生々しくて悲しい記録を読んだ。
心が震える。
もし自分が家族を亡くしてしまったらと考えると、胸が痛む。
今の自分の考え方が正しいのか、強く考えさせられる本であった。
家族について思うこと
今日、兄と小さくぶつかってしまった。
一緒に仕事する関係でもある兄なので、ぶつかることはたまにある。
しかし、今日は「悲しい」ぶつかりだった。
胸がチクチク痛むような、そんなぶつかり。
詳しい原因はここに書かないが、なんとなく距離が遠くなってしまうような、そんなぶつかりだった。
自分は普段、怒ったりイライラすることが少ない方だ。
大抵のことは重く受け止めないよう心掛けているし、問題が降り掛かってきても怒りで解消しようとするよりも、違う方法で解決しようとしている。
しかし、兄には違う。怒りが生まれる。
そんな些細なこと、怒らなくてもいいのに、と自分で思うようなこともイライラしてしまう。何故だろうか。
本当は、仲良くありたい。
私にとってこの世で一番むずかしいことは、仕事の問題なんかではない。
家族問題だ。
投げっぱなしの文章で申し訳ないが、未だ解決方法はわからない。
自分について思うこと
私は、20歳の時に今の会社を立ち上げた。
立ち上げた当時は、よくいる「夢見る若者」で、億万長者になることを夢見ていた。
しかしそれは私の性分に合っていないように近頃は感じている。
事を成す人には、この2つの特徴が顕著な人が多い。
「自己実現欲が極端に強い」もしくは「思いやり精神が極端に強い」この2つだ。
まずはじめに理っておくと、どちらが良い悪いの問題ではないことと、どちらか一方だけの人は居ないということだ。
はじめの「自己実現欲が極端に強い」例は、イチロー選手がそうだと思う。
「こうなりたい」をひたすら磨き上げ、その姿を見た観衆は感動を受ける。
いわばヒーロー。だから皆憧れる。これが社会の良いサイクルになる。
一方、「思いやり精神が極端に強い」例は、歴史から言えばガンジーや、マザー・テレサのような人だと思う。
他者幸福を望むのか、共同体としての幸福を望むかは人それぞれかもしれないが、自己実現を最優先にせず、相手の成功のために尽くすのだ。
それが自分にとっての幸福や成功と思うタイプである。
人は生まれつきの素質があって、自己実現を目指して生きることが良い人も居れば、他者のことを思って生きることが良い人も居ると思う。
そして私はきっと、後者の人間であると思う。
人間、いつかは死ぬ
人間、いつかは死んでしまう。
だから、むやみに人を嫌ってしまってはいけないと思う。
優しくなれない人もたくさんいるが、優しくありたい。